1990年代の伝説のビルダー外伝(フレックス・ウイラー)

2013/09/13

無冠の帝王だが美しすぎるフィジークのフレックス・ウイラー

フレックス・ウイラーフレックス・ウイラーと言えば1990年代に僕が最もアメリカのボディビルダーを眺めて、ワークアウトに励んだ時代のビルダーの一人でした。思い出せばショーン・レイやポール・ディレット、ケビン・レブローニそれにドリアン・イエーツ。思い出すだけでも懐かしいビルダー達です。もちろんアメリカのトッププロ達なので追いつけるはずもありませんが、彼らが僕のワークアウトのモチベーションを上げてくれたのは確かです。プロのボディビルダーの写真や記事を読んでも面白くないと思われる方にはごめんなさい。ただ、僕は彼らのトレーニング方法が直接役に立つとは、思っていません。が、なにかしらヒントになったり、また、モチベーションを上げるのには最高だと思っています。無理だと解っていても少しでも上を目指してトレーニングするのもトレーニーの心がけだと思います。そんな事で独断と懐かしさで1990年代の伝説のビルダーを紹介したいと思います。

フレックスは誰よりも美しいシンメトリーを持ち、理想的な筋腹に丸みを持っていました。まさに素晴らしいトータルパッケージを持ったビルダーでした。近年はバルクアップに重点が置かれ、モンスター的な大きさがオリンピアの必須条件になっています。しかし、ぼくの中には彼の美しい丸みを帯びた肉体はミスターパーフェクトでした。

1985年からアマチュアで3度の優勝と3度の2位のタイトルを引っさげて1993年にプロデビューをしました。特に印象に残ったのはこの年のアーノルドクラッシックでの優勝です。サイズ的にも大きくないフレックスですが完璧な仕上がりで他を圧倒しました。

そして、最盛期の1998年当時のフレックスです。

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=PiQUlL_YcG0[/youtube]

彼がプロになってからの戦績です。

flex経歴

 

フレックス・ウイラーをチャドニコラスが語る

彼の現役時代のコーチのチャド・ニコラス氏が彼の事について語った記事が月刊ボディビルディング2013年5月号と6月号に掲載されていましたのでまとめてみました。

ダイエット嫌いのフレックス

ダイエット嫌いのフレックスチャド曰く、彼はとにかくダイエットを嫌い、食事の管理と計画したプランを守らなかったと。コンテストの4週間前までチーティングをしハンバーガーを食べていたと。それも一度に3個も。ところが最後の一踏ん張りも凄かったとチャドは回想しています。フレックスは精神的にもタフなボディビルダーだとも言っています。ただし、ミスターオリンピアになれなかったのは計画されたダイエットを忠実に行えなかったからだとも言っています。人間らしいですが!この写真をみると彼がかわいく見えるから不思議です。

 

チャドの見たベストなフレックスは

フレックス•ウイラーのベストシェィプ彼は1998年のフレックスのコンディションが、筋肉も成熟し、あきれるほど見事な丸みと張りを持っていたと言っています。その逸話としてバックステージで彼がフレックスのコンディションをチェックしていた時に、アーノルド•シュワルツェネッガーが通りがかり、隣にいた誰かに「フレックスこそボディビルディングコンテストのステージに上がったボディビルダーの中で、最高のボディビルダーだ。」と言ったそうです。当時を振り返ってチャドは「アーノルド本人の口からあんな言葉が聞けるなんて!」と思ったそうです。

 

トレーニングは軽めだったという神話

この噂は2つの要素があったとチャドは言っています。1つは、コンテストが近づくにつれフレックスのジムでの動作はスローになっていった為だと。ダイエット嫌いの彼はダイエットに対する精神的な抵抗と葛藤のため、ダイエットや有酸素運動もかなりハードなものとなった。そんな時期には肉体的にもかなりの負担がかかる。従ってコンテスト前のフレックスはトレーニングのウォーミングアップの時点で既に疲れていて、ジムの中をゆっくり移動している姿がよく見られたからだと彼は言っています。

もう1つは、現役時代のフレックスは頻繁に旅をしていた事です。フレックスが軽い重量でトレーニングをしているのを見た人はこの旅行中のトレーニングを見たのだとチャドは言っています。フレックスは旅行中も決してトレーニングをやめる事はなく、定期的に行っていました。しかし、ホームジム以外では慎重に高重量を扱う事は無かったと言っています。普段、ベニスのゴールドジムでは495ポンド(222kg)でインクラインプレスをやっていたそうです。

 

ロニー•コールマンにチャドを紹介したフレックス

歴史にifは無いのだが、チャドによると1998年にロニーを紹介してくれたのはフレックスだそうです。この時期はロニーも伸び悩んでおり、オリンピアも上位入賞はありませんでした。そのロニーにもし、チャドを紹介しなかったら、1998年のミスターオリンピアはコンディションが良かったフレックスが優勝したかも知れません。この事をフレックスに「ロニーを紹介した事を悔やんでいないのか?」と多くの人がフレックスに尋ねたそうです。フレックスの答えは「全く後悔していない。」と常に答えたそうです。そして、「ロニーは良い友人だし、俺はお互い常にベストコンディションの状態で戦いたいと思っている。そしてもしチャドがロニーを助けたら、ロニーがベストコンディションでステージに上がる事ができると思ったんだ!」と言ったそうです。これこそがフレックスの人間性を語る逸話なのです。とチャドが言いました。そして、最後に「フレックスの様な素質とフィジークを持ったビルダーは出てこないと」

この部分で僕はフレックスがより好きになりました。願わくば彼の様な筋腹を持つ事が夢ですが、その前にもっと筋量を増やさねばなりませんね!

退屈な話かも知れませんでしたが1990年代の伝説のビルダーでした。